㉘ この国のかたち

 天皇は戦いにも政治にも関わらずただひたすら神聖な存在であり、政治は官僚組織に任せればいい。

悪い意味でもこの「かたち」は現代に生きています。官僚組織がおかしくなったら、この国は根底から傾くということです。

天皇制は1300年以上にわたって存続し、日本の政治の安定に寄与しました。

天皇という存在が他国の元首に比べてなんとなく女性的な雰囲気を感じさせるのは、創始者が女帝であったことが神話を通じて強く影響したと思います。

私は中学生だったとき公民の授業で、<天皇は日本国民の統合の象徴>と定めている憲法の条文を見て違和感を覚えました。

日本人は天皇がいなくても日本人だ。天皇とは関係がない。となんとなく反発していたのです。でも今は、日本と天皇は誕生以来、一体不可分の存在として1300年以上の歴史を歩んできたと認識しています。

天武天皇のあと、たくさんの皇位継承候補を押しのけて持統女帝が強引に即位し、天皇家の皇位継承ルールを定めました。

その試みに失敗していたら、その後も権力闘争が続き、現代の日本社会は別の性格を持っていたかもしれません。

暴力や恐怖によらないでその神聖権威を確立するため日本書紀が編纂されました。そこに登場する最高女神は、夫からDVを受けて岩倉に身を隠すような地味な神様でした。

中華においては、政治権力を握るためには皇帝を打倒しなければならないので、定期的に王朝交代が繰り返され、そのたびに戦乱が起き、流民が発生して人口が半減するほどの犠牲を生みます。

その繰り返しによって中華がどれほど多くのものを失って今に至ったかは、日本人だからこそ理解できると思うのです。

天皇が身の危険を感じて厳重な警備を置く必要もなく、戦国時代には御所の壁が崩れて中の暮らしが庶民から丸見えのままで過ごしていました。

天明の飢饉のとき、天皇のご利益にすがって飢饉を乗り切ろうと7万人の民衆が集まり、その民衆に後桜町上皇が3万個のリンゴを配ったそうです。

天皇と国民のこのような関係がこれほど長期にわたって存続したことは世界史において珍しい現象だと思います。

日本は7世紀の後半、倭国の存立の危機の中で、周辺部族を政治的に統合して成立しました。

日本という民族と天皇は同じ目的でほぼ同時に成立したのですから、天皇はまさに日本を象徴する存在です。

これは私が右であろうと左であろうと動かない事実なので、歴史を裸眼で見れる人ならご理解いだだけるでしょう。

それを説明するためには7世紀の歴史の断片をつなげて整理する必要があり、そのために歴史チャンネルを書いてきました。

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