㉓ 天武天皇のあとを継いた妻

 大海人皇子(天武天皇)は庶民生活になじみがあり、女好きの博打好きで天文遁甲に秀でていたうえ槍の使い手だったと記録されます。

 天文は道教にもとづく吉凶占いや神秘思想みたいなもの。遁甲は仙人が使う忍術みたいな特殊技能のこと。

 つまり天武天皇は不思議な特殊技能を身につけ武勇にも秀でた風変わりな天皇であり、日本書紀では現人神として扱っています。 

私は大海皇子の父が舒明天皇ではなく用明王家の血を引く高向王だったと推測していますが、乙巳の変後、用明王家の生き残りは命を狙われるということで、母(斉明女帝)の庇護で東国で隠遁していたと推測します。

 そこで地元の豪族や庶民と交わり、天文や遁甲の術を身につけながら政治にはかかわらない男。危険人物ですから、中大兄皇子(天智天皇)は娘を4人も大海皇子に嫁がせました。これは監視、つまりスパイ活動の意味もあったかと思います。

 そのうちの一人に鸕野讚良(うののささら)という女性がいました。この女性と大海皇子との間に草壁皇子が生まれます。

 一方、天智天皇には大友皇子という後継者がいますが、この人の母親は采女という低い身分の出身だったと記録されます。

 この時代までの倭王は王族か、蘇我氏のような実力者を妻にしますが、天智天皇は妻の実家が権力を握ることを恐れてか、采女(うねめ)のような身分の低い女性の子を跡継ぎにしました。 

なにしろこの時期の中国では、皇帝の妻が皇室を事実上乗っ取るという異常事態になっていましたから、実力のある家柄を出身とする女性を妻にしない方が得策と考えたかもしれません。

 しかし鸕野讚良にしてみると、正当な倭王家の血を継ぐ我が子が、采女の子である大友皇子に臣下として仕えることに不満を持ったかもしれません。 

実家のためのスパイだったはずが、皮肉にも壬申の乱では、実家を打倒する夫を陰から支える結果となってしまいました。 

だからといって彼女は天武王朝の永続を望んでいたわけではなかったのです。

今後続いてゆく天皇家の始祖は夫でいいのか。いや、二つの王家の因縁の争いを終わらせるためには自分が天皇家の血統の原点となるべきだ。そのためにはどうにかして夫の家系から権力を奪わなければならない。

彼女がこんなだいそれたことを考えたのには、唐王朝の乗っ取りに成功した、ある女性の影響もあったと思うのです。

その名は中国史上唯一の女帝。則天武后。

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