⑤ 仏教導入の裏側で

 倭国存続のため、聖徳太子は地方豪族から権力を奪って地方を直接統治する必要に迫られました。

ここで登場するのが仏教です。倭国では、古来から各地の氏族が祀る神がいて、特に祖先を重要な神として崇めていました。祖先を崇めることは、祖先から受け継いだ地方権力を維持または拡張させる欲求につながります。

祖先を祀る最大の祭祀場所が古墳です。

古墳時代ですから、地方民は地方権力の象徴である古墳を毎日眺めながら生活しているわけです。


この状況では中央集権化はすすみません。もし仏教を広めたらどうなるか。仏をこの世界における唯一絶対の存在としてしまえば、地方の神や祖先神を仏より格下の存在にすることができ、同時に倭王が仏教の擁護者として最上位の立場を確立できる。


そのためには圧倒的にきらびやかな寺院を立てて、その迫力を見せつけるのが一番。そこで聖徳太子は四天王寺など、地方豪族が真似できない巨大寺院を建設しました。

五重塔の荘厳さとその社会的機能に比べ、古墳は大きいだけでなんの役に立たない。神より仏にすがる方がより現実的で意味がある。

そんな価値観を社会全体に植え付ける必要がありました。

寺院の社会的機能とは?一つは文化の普及です。経典を読むには漢字、つまり外国語の学習が必要ですが、倭人の多くは字を知りませんからお経を読めません。寺院では経典を、つまり外国語を教えてくれるわけです。

明治時代に英語やフランス語を学んだ渋沢栄一みたいな人が政府高官になったのと同じで、低い身分でも最先端の知識を持った方が自然とエラくなりますから、外交権を独占して仏教導入を推進する倭王とその官僚達が徐々に優位に立ちます。

地方豪族は時代遅れのみじめな存在として、倭国の官僚たちにすがるしかなくなってゆき、やがて地方豪族の子弟が国営の寺院で官僚(仏僧)の指導のもと文字、さらには倭王を中心とした新国家主義を学ぶ羽目になります。

そんな状況で新興勢力である蘇我氏が台頭してきました。蘇我氏こそ仏教の先駆者であり、同時に中央集権国家成立の脚本家でありました。

そして聖徳太子は蘇我氏の血を受けた、蘇我氏が擁立した大王だったのです(私は聖徳太子が摂政ではなく倭王だったと想像しているので)。

しかし、こういった改革に反発する勢力もありました。その筆頭が物部氏です。蘇我氏を打倒しなければ、古い勢力は新興官僚勢力に地位と権力を奪われてしまう。

物部氏はとても興味深い氏族なので、次回に詳しく触れたいと思います。

 

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