⑲ 日が昇る国 倭から日本へ 国家名称「日本」の意味するものは?
半島南岸で活動していた海洋民に対し中華は「倭」という字をあてました。
やがて倭族の中から「やまと」と称する集団が発生して奈良盆地に「やまと」というクニ
をつくりました。
「やまと」はおそらく筑後川下流域の地域名又はそのあたりにいた部族の名称だったと
想像しています。
やまとの王が倭族全体の代表者として中国の南朝から倭王という称号をもらって喜んでい
たのが古墳時代です。
「やまと」の直轄地域である奈良盆地周辺を「やまと」と呼ぶ一方、倭王が束ねる倭国
全体を意味して「大倭」という字をあて、これも「やまと」呼びました。
「イングランド」が「ゲルマンの一部族名であるイングル人が住む土地」の名称から始まり、やがて国家名称に昇格したのと似ています。
南朝が衰退して隋に滅ぼされるに及んで、倭王の独立志向が高まり、高句麗などからの文化
的影響を受けて、仏教を導入しつつ国家体制の整備を進めてゆきます。
はからずも唐と高句麗の対立に巻き込まれた「やまと」は、唐の軍事侵攻を受ける結果と
なりました。
侵略に備えるには、まだ唐に属していない周辺勢力を味方に抱き込む必要があります。
倭族内では中央集権化を進めつつ、周辺部族を緩やかに支配する新しい国家体制を構築す
る必要に迫られたのです。
その新しい国家の名前として選ばれた「日本」という文字にはどのような意味が込められて
いたのでしょうか。
<日が出るところにあるので日本と名乗った。日本は昔の倭奴で小国だったが倭を併合して
日本と名乗った。>(新唐書)
倭王の後継者を「日嗣の御子(ひつぎのみこ)」というのは、太陽を神として祭祀する者という意味だと思うのです。
中華皇帝の象徴は夜に輝く北極星でしたが、昼は「太陽」が支配する世界です。
つまり倭王は北極星を中心とした世界秩序とは別の世界における中心的存在であると自覚したのですが、唐帝国の圧力が消えたわけではありません。